FASHION

2021.05.07

RH INTEREVIEW with CREATORS vol.2 前編 ~KIIT 武田 裕二郎~

ファッション関連のクリエイターにフォーカスし、その人の背景やルーツを探るRH Interview with CREATORS。前回のWISMバイヤー兼コンセプターの堀家さんに続き今回は二人目、KIITディレクターの武田裕二郎さんの登場です。「消費的な流行と異なる視点で考え、都市生活に相応しく、退屈ではない普遍性のある日常着」をコンセプトに設計されている洋服たちはファッション初心者から玄人まで幅広い人から支持されています。一般的にはブランドはターゲットとされるユーザーがある程度絞られているのでファンは偏りがちが、KIITは異なります。この違いはどのようなことからもたらされているのか、そしてKIITの洋服はどのように作られているのかを前編は武田さん単独で、後編はKIITを扱うアタッシュドプレスTEENY RANCHの久戸瀬さんに登場していただき2回に渡って特集します。

①ファッションを生業にしている人たちのルーツ
②体感してわかった「お店を持つことの難しさ」
③作り手への目標転換。そして、KIITディレクター就任の過程
④まずは袖を通すこと。そしてそこで感じる高揚感。武田さんが思考えるファッションの価値

武田裕二郎(KIIT、MR.EVERYDAYS ディレクター兼デザイナー)
1981年、富山県高岡市生まれ。上京後、中目黒のジャンピンジャップフラッシュ入社。その後2004年に代官山リフトの店長兼バイヤーに転職。2007年から現職に。ここ数年はランニングが趣味で大会にも参加。温和で柔らかな人柄で業界からの支持者も多い。

左からライター谷本、KIIT武田さん、レイトハイヤースタイリスト安部(KIITオフィスにて)

ライターの谷本が417 EDIFICEのプレス時代にKIITの取り扱いがスタート、安部はスタイリストの仕事でKIITに衣装を借りに行くなど公私ともに交流のある3人が集まりました。しかし、お互いのファッションのルーツに関して話すことは今までほとんど無かったため武田さんの発言に二人は興味津々。そんな二人からの質問で和やかな取材がスタートしました。

—ファッションを生業にしている人たちのルーツ

谷本「武田さんは富山県出身ですよね。私は岡山県の倉敷出身でファッションに興味を持ち始めたのは中学生の頃でした。武田さんがファッションに興味を持ち始めたのはいつですか?」

武田さん(以下、敬省略)「僕は小学校の頃です。きっかけは単純なことですよ。女の子にモテたかったから、それだけです(笑)。けれど、それがきっかけで他の人と違う格好をすることが楽しい、ということが体験として分かったんです。そこからは洋服だけじゃなくて、髪型とか、眉毛を整えて、他人からの見られかた意識するようになりました。当時はスマホやインターネットも無い時代ですから、参考にしていたのはやはり雑誌ですね。カジカジBoonは当時のバイブルでした」

安部「僕がファッションで最初に参考にしたのはダウンタウンの浜ちゃん。アメカジの全盛でしたね。僕は大阪出身だから当時はよくアメ村に通ってました。そこで古着を覚えて洋服にのめり込んでいきました」

武田「僕も一番最初は古着でした。けれど、地元の環境が裏原系に強かったので雑食に変化していきました。中学時代にはアンダーカバーを、高校時代にはコム・デ・ギャルソンを古着とミックスしてコーディネートしていました。北陸の流行発信地は金沢なのでよく行ってましたし、高校の頃は大阪、名古屋にもよく行ってました。高校在学中に大阪なんて10回以上行ってるんじゃないかな。ビッグステップ行って、アメ村回って、最後に甲賀流(たこ焼き)食べて、って毎回そんな感じでした(笑)。必死にアルバイトをして、給料全額をファッションにつぎ込んでた時代ですね、懐かしい」

安部「武田さんはバンドをやっていたって聞いたことあるんですが、そこから影響されたことってあるんですか?」

武田「当時はハードコアバンドを組んでたんですけど、そこからは多少の影響は受けてましたが、それよりも富山で当時隆盛していたヒップホップカルチャーに凄く影響を受けました。雑誌はメインの情報ソースではあったんですが、そのカルチャーに影響を受けている先輩をとても参考にしていました。思い出すと今では考えられない頭にバンダナを巻く、というスタイリングもしていましたね(笑)。当時からファッションは雑食で、グッドイナフのスタジャンを買うためにお店に並んだり、高校に入ってからはネメス(クリストファー・ネメス)とかのアバンギャルドなファッションを摘んだり、裏原、B-BOY、古着ミックスにコム・デ・ギャルソンなど色んなファッションを楽しんでいました」

武田「高校卒業後はファッションの道に進むつもりで大阪に出るつもりでした。けれど、親友が大阪に行ったから逆に自分は東京に行ってみようかと思い立って、富山を離れる直前に予定変更して上京したんです」

—体感してわかった「お店を持つことの難しさ」

谷本「その頃からブランドを立ち上げる志を持っていたということですか?」

武田「その頃はそんな思いは一切無かったんですが、大阪に通うに連れて古着熱がどんどん強くなっていって自分のお店を持つことが第一目標になっていったんです。だからまずは洋服屋に入ることに専念して、短期のアルバイトをやりながら生計を立てて古着屋を10社くらい受けました。全部落ちたんですけどね(笑)。それでも受け続けてようやく受かったのが中目黒のジャンピンジャップフラッシュです」

武田「だけど、ここで分かったんです。お店をやり続けることの難しさが。ジャンピンジャップフラッシュではお店に立っていてバイヤーも経験させてもらいました。売れるもの、売れないものはお店に立っているからこそわかると思っていたんです。けれど、自分の観点で買い付けてきたものが簡単に売れないし、自分が売りたいと思うヴィンテージアイテムは簡単に集まらない。身をもって難しさがわかりました。次のステップを展望し始めたのはジャンピンに入ってから3年後くらいのタイミングでした」

安部「じゃあ、そこで古着ではないほうに舵を切り始めたってことですか?」

武田「そうですね。違う景色を見なきゃいけないと思っていろんなお店を巡るようになりました。商品のセンスや接客など、実際にお店に足を運んでわかること、収穫がたくさんありました。そこで最も魅力的に感じたお店が代官山のリフトです。デザイナーズブランドの価値を伝える接客のカッコよさに惚れて一度落ちてしまったリフトにどうしても入りたくてもう一度受けたら受かったんです。当時23歳でした」

安部「リフトは凄くコンセプチュアルなお店ですよね。ブランド好きじゃなくて、洋服好きが行くお店っていう印象で、いい意味で好きな人にしか響かないセレクトをしているお店ですよね。今もちょくちょくお邪魔しています」

—作り手への目標転換。そして、KIITディレクター就任の過程

武田「リフトでは当時新しく立ち上げたお店の店長を任せてもらったりと経験を積ませてもらいました。今みたいにすぐに情報を仕入れることができなかったのでセレクトしているブランドの情報を勉強しつつ、お客さまに伝えることはひと苦労でしたし、責任ある立場なので売り上げを上げていくことも考えなければならない。同時に国内のバイイング任されていて、そうこうしているうちに現在の会社と繋がったんです。当時のKIITは今の会社の代表が展開していたセレクトショップのオリジナルブランドでした。代表とコミュニケーションを取るうちに洋服を作る側に回りたいと思うようになりました。時をほぼ同じくしてリフトでもオリジナル商品を展開していた頃で、当時の先輩に洋服作りのノウハウを学んでいたことも影響が大きかったですね」

安部「一般的な感覚だと専門学校に行って洋服作りを学んで、ブランド立ち上げるっていう流れだと思うんですけど、武田さんはその知識なしに今の世界に飛び込もうと思ったんですね」

武田「頭でっかちになるのが嫌だったし、知識よりも経験を積んだ方が早いと思ったんです。今の恵まれた環境の中で代表に教えてもらいながら洋服作りを学んでいきました。本当に、感謝しかありません

谷本「洋服作りを始めた当初と今は取り組み方の違いってありますか?」

武田「最初はただただがむしゃらでした。やらなきゃいけないの一心でしたから。けれどいつぐらいからか余裕が生まれてインプットの情報量が増えてきて、そこから何かが変わりました。具体的にどう変わったかっていうのは表現しづらいんですけど、歳を取ると見える景色が変わってくるじゃないですか?それと同じような感覚だと思います」

取材当日はKIIT2021秋冬の展示会中。二人は来季のKIITの商品に夢中に

武田「扱ってくれるお店を見つけるために最初はスーツケースひとつ持って北は北海道、南は九州まで行脚していました。当時は門前払いは普通。扱いもひどい時があったためその頃は何回も辞めようと思っていました」

安部「リフトで店長を任されていたくらいですし、セールストークは上手そうなのに」

武田「これは我々世代の大部分の人たちが当てはまると思うんですが、自分が作ったものをセールスするのってちょっとこっ恥ずかしいんですよ(笑)。僕はセルフプロデュースが苦手で人が作ったものをオススメする方が何十倍もラク。自分が作ったものに自信はあるんですけど、売り込みは簡単じゃ無かったですね」

—まずは袖を通すこと。そしてそこで感じる高揚感。武田さんが思考えるファッションの価値

安部「なんかわかる気がします、その感覚(笑)。目立ちたい割りには売り込みが苦手ですよね。取引先を回るたびにフィードバックはありました?」

武田「もちろん、色々聞いたりはしますがそれをそのまま活かすことはほとんどしません。自分が作っている洋服はデイリーユースできることを主軸に置いているので、流行のエッセンスは少しのアップデート要素くらいで入れている程度です。シーズンテーマを設定しているブランドも多いですが、ユーザーがそこに引っ張られると広い視野でのファッションを解釈することができないと僕は思っているのでテーマも設定しません。自分が見て感じた物事を表現することを最も大切にしています。洋服の良さを感じることができるのは間違いなく“着る”ことです。着ることに重きを置いて普段使いできるものを目指しているので、KIITの洋服は見て、聞いてよりも実際に着て感じてほしいです」

安部「洋服作りの難しさって、自分の中にデザインソースがなければ具現化できないじゃないですか?武田さんはどういうところから情報を得てるんですか?」

武田「基本的には映画や古着からソースを得ることが多いですが、街で通りすがる人のスタイルや友人、SNSなどももちろんチェックしています。新しいものを生み出すことは正直、今の時代では難しいと思います。だから参考にできることは参考にして、商品ひとつひとつの完成度を高めていく作業をしています。作り込みのクオリティの高さに対してのコストパフォーマンスをKIITとして打ち出していければ理想的なブランド運営ができると考えています」

谷本「KIITのフィロソフィーは何ですか?」

武田「さっきも話した内容と重複する部分があるんですけどやはりまずは着てもらうこと。着てもらったことでユーザーに高揚感を持ってもらえるような努力をすることを主軸に置いています。実際に触れないとわからない価値ってきっとあると思うんです。普段着ている服と違うな、っていうことを感じてくれる洋服づくりに努めています。全国行脚のところで話したように自分でプロモーションをするのは苦手なので誰かに思いきりアピールしてほしいです(笑)」

谷本「次回に出てもらうアタッシュドプレスのTEENY RANCHの久戸瀬さんにプロモーションをお願いしているのはそういった理由もあるんですね(笑)。レディースをスタートさせて5シーズン目ということですが、どういう理由でスタートさせたんですか?」

武田「KIITの今までの服作り、サイズ感やシルエットなどはもちろんメンズに向けて作っていたんですけどレディースでも共通する部分が出てきたんです。時代ですかね。女性もそれを受け入れる人が増えて、そのままレディースでも着てもらえるな、と感じたことがレディースをスタートしたきっかけです。一般的にはレディースはメンズに比べて素材に使う色目がワントーン明るいんですが、僕はメンズライクを意識しているのでメンズ・レディース共通の生地を使っています。軸はあくまでメンズです」

武田「2021秋冬では初めてワイルドシングス(アメリカ発のアウトドアブランド)とコラボレーションしました。商品はリリースまでのお楽しみですが、着る人を選ばず、ヘビーユーズできるKIITらしいワイルドシングスに仕上がっています。ブランドとして様々なトピックを作って、お客さんの心により刺さりやすいものを卸すのもブランド側の仕事と捉えています。新型コロナの影響もあってお店も苦しんでいると思うので、知名度のあるブランドさんとタッグを組ませていただき、お客さまに伝えやすいアイテムづくりも必要です。KIITが頑張って取引先が喜んでくれるならこれ以上のことはありません」

 

ニューノーマルが声高に叫ばれ、テレワークやオンライン飲みなどリモートで済ませることができるようになったこの1年。確かに便利になりましたが、反対に実際に触れることの大切さを改めて感じた方も多いのではないでしょうか。洋服も実際に触ってみないと良さをダイレクトに感じることはできません。作り手も色々な人がいますが、突き詰めていくと自分の作品・商品に実際に触れて欲しいと思う人が大部分だと思います。難しい世情の中でこのような多くの思いがかき消されないないことを切に願います。次回はKIITのPRを担うアタッシュドプレスTEENY RANCHの久戸瀬さんを招いてKIITの外側を掘り下げます。お楽しみに!

 

Writer Profile

谷本春幸

Writer Profile

谷本春幸

PR / ライター / スパゲストハウスルルドリーダー・広報

EDIFICE、417 EDIFICE、JOURNAL STANDARD、WISMなどのプレスを経て独立。 フリーランスでライターを経たのち、群馬県・四万温泉の宿「スパゲストハウス ルルド」のリーダー兼広報に。現在は群馬に拠点を移し、フリーランスライターとの二足の草鞋で活動中。 INSTAGRAM:@haruyukitanimoto Twitter:@haruyukitanimo1