2020.03.15
【モテてない人ほど誤解している・ご縁に関する3つの落とし穴】 笠連載コラム#4
こちらをお目通しの皆さんは日頃「ご縁」についてどれだけ意識していますか?
多分男性の方がお目通しされているかなという当て推量の下でお話ししますが、
これ。
不思議なもので実際の占いの現場でもそうなのですが、
《恋愛面で不遇の男性ほどご縁を意識していない》
まず「ご縁」という言葉自体がほとんど出てこないんですね。
意識してないというのはちょっと言い過ぎかもしれませんが。
「ご縁」というもので物事の関係をあまり捉えていらっしゃらないと言った方が正確かもしれません。
ただこれちょっともったいないです。
「それがモテるかどうかの一体何を左右するんだ!」
と後ろ指指されそうな気がしますが、あえて恐れずに言いましょう。
「もしかしたらそういうとこ、かもしれませんよ。」
ですが逆に言えば伸びしろしかない!
ということでもありますので、これはもうガッツポーズです。
時と場合によってはモテ期が明日からやってくるとも限りません。
そこで一分一秒でも早く良縁に恵まれますよう祈りを込めましてですね。
3つの落とし穴に“蜘蛛の糸”を垂らすべくお話ししてゆきたいなと思います。
「自分の力だけでは生きてゆけない」
自分の力で生きている、と私たちはつい思いがちです。
これが一つ目の落とし穴。
けれどもふと立ち止まって考えてみて欲しいのです。
オギャーと生まれて今の今まで。
あなたは自力でここまで成長したのでしょうか?
誰かの手を借りずに成長したんや!
ということは恐らくないかと思います。
親にしろ血縁にしろ。
あるいはそうでないにしろ、必ず人生の先輩の恩恵があり、私たちの幼い時代はどうにかして生きながらえるものとなったはず。
何か一つでも優しい手が足りなかったなら、今の自分たちはいない可能性だってあったわけです。
もっと言えば、ご先祖様が一人でも欠けていたらここにはいないんですね。
生まれていない。
命を授かっていない。
ちなみに鎌倉時代ほどまで遡ると、大体ご先祖様の数は20億人を突破するそう。
このうち一人でも欠けていたら。辿った人生が違ったなら。
ここに生まれていない尊い命が、あなたです。
「縁によって生かされている」
まあ確かに、ある程度成長した後の人生は多少なりの独力がなければ難しいところはあるでしょう。
けれども社会で生きている限り、私たちは自分の都合だけで生きることはやっぱり難しい。
ズバリ言えば、私たちは一人で生きているのでは決してないのですね。
これが二つ目の落とし穴です。
あなたと他者。
あなたと社会。
あなたと国。
あなたと星。
ミクロからマクロの単位まで、あなたの周囲には様々な縁が存在しているわけです。
他者と関わることが出来るのは、これまたその背後に数え切れない命の歴史があるからですね。
何だかいやだなあと思うお相手でも、その背後にそうした命の縁があり、そんなお相手を想う人生の先輩がいたかもしれない。
そんなお相手がこの社会に何らかの影響を及ぼせば、その影響の中で知らずうちに私たちは恩恵を受けていることだってあるはずです。
世の中に物流があるのは、それを運ぶ誰かがいるからですね。
当たり前のように電気がつくのは、そうなるように頑張っている誰かがいるからです。
お金で食物が買えるのは、その食物を懸命になって作って下さった生産者がいるからで、
その食物もまたこの星に吹く風や、蒸発した海より生じた雨の恵みを受けて育まれたものでしょう。
もっと掘り下げて言えば、私たちの体には共生している菌がたくさんいます。
その働きのおかげで、命は今日も稼働している。
目には見えなくてもそうした縁が因果となって確かにあり、そのお陰で私たちは生きているのではなく、生かされている。
その生かされた結果としてあなたはそこにいて、他者もまたそこにいるわけです。
「この縁に感謝」
今こうしてあなたがこの時代にこのコラムを読んでくれているのも、奇跡のような確率の巡り合わせです。
それは私たちだけでなく、ありとあらゆる出逢いにも同じことが言えますね。
だからこそ、この瞬間を共にすることはただそれだけでも“有難い”のだと私は思います。
この有難さをどれだけ自覚しているか、これが三つ目の落とし穴です。
誰しも自分の力だけで生きて行くことは出来ません。
命を頂かずしてこの命を長らえることは出来ず、縁によってでしか私たちは無念ながら存在することは決してできないわけです。
その縁も捉えきれない、無数に過ぎる膨大さがあり、けれどもその全てによって私たちは生かされている。
縁を意識するということはすなわち、ただ繋がりを意識するということではありません。
この縁を「想像」することであり、「肯定」し、「感謝」をもって向き合うということ。
それが、縁を意識するということなのではないでしょうか。
これが何故にモテるだのそうでないだのに関わるんだという本題に戻りますが、
「想像」出来るということは「察する」ことが出来るということでもあります。
心とは見えないものですから、これはもう言葉通り「想像」するより他ありません。
何より私たちは「肯定感」なしには生き難く、満たされた自尊心を求めてやまないのが人という生き物でしょう。
それを傍にいる誰かが満たしてくれたなら。
それこそこんなにも“有難い”ことはないものです。
そうした尊さをさっぱり理解されないようなお相手にはのれんに腕押しとなる可能性もありますが、
こっちから願い下げだ!くらいの気概でいいかと。
「真心ねえ!察しもねえ!」
「感謝もそれほどされてねえ!」
となれば、「オラ、別のとこさ行ぐだ」となるのは時間の問題でしょうから。
(だが、それがいい。というのであればある意味でめったにない相性なので、運命的な二人かもしれません)
まとめに。
ぜひこの機会に一度、ご縁というものとあなたなりに真剣に向き合ってみて頂けたらなと思います。
縁と向き合うということは、ある意味では自分自身と向き合うということ。
誰かを肯定できない時というのは、往々にして自分を肯定できていないことが多いもの。
まず第一に、自分が自分にモテるというのが大事なことなのかもしれませんね。
今回のコラムが、自分を愛し、他者を愛し、ご縁に愛されるきっかけとなれば幸いです。
それではお目通し心よりありがとうございました。
笠‐Ryu‐